「つれづれ探訪」 800年の歴史を伝えるとされる「三郎堤(花巻市)」

「東北新幹線新花巻駅」と隣接する「JR釜石線新花巻駅」の間に、JR釜石線と並行して東西に走る道があり、西は花巻空港方面に、東は東和町方面に向かいます。

その道を東に1キロ弱進んだ所(「JR釜石線小山田駅」の手前)で南〈右折)に折れて踏切を越え、さらに道なりに進み坂を上ったところに「三郎堤」という木の大きな看板が建てられ、眼下に大きなため池〈堤)が東西に広がっています。

「三郎堤」の看板
「三郎堤」の看板
三郎堤
三郎堤

さらに道を進むと堤の東北端に駐車場がありトイレまで整備されています。看板には、三郎堤の変遷について紹介していました。

紹介看板
紹介看板

もともとこの地区(花巻市矢沢地区・幸田地区)は、「古志族(ネットには古代日本における外来のツングース系民族ともされる?)」が開発し、その後、奥州藤原氏滅亡時に、藤原泰衡の弟泉三郎忠衡が落ちてきて、主従でこの地区を開発し3つの(現在は1つ)堤を築いたと紹介しています。それが本当ならまさに800年以上も遡る歴史があることになります。

最近、紫波町日詰の「五郎沼」も平泉関連遺跡である注目されていることから、「五郎」「三郎」であるいは本当かもしれませんが、「古志族」といい奥州藤原一門「泉三郎忠衡」といい興味は尽きない場所です。